うさぎと小さな怪獣のおはなし

ゆるりと素敵に暮らしたいけど実際は毎日育児にドタバタなアラサーのブログです。老後の夢は旦那と2人でキャンピングカー暮らし!

伊藤緋紗子さんの、素敵な子育てバイブル。


昨晩ふと本棚を整理していたら妊娠前に買った雑誌がでてきました。
暇つぶしがてらパラパラと読んでいたところ、素敵な記事を見つけたので紹介させて頂きますね。

以下、エッセイスト伊藤緋紗子さんの記事です…◡̈♥︎

いまでもパリが教えてくれること
+September 2014+ Vol.06
伊藤緋紗子
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「お母さん」ってなんでしょう

子育て真最中の頃は、時間が足りないうえに”不安”がいつもついてまわります。「これでいいのだろうか」「他のお母さんはどうしているのか」など、周りのことも気になったり……。でも、「子育ての基準なんてどこにもない」と思います。この世の中、人の数だけ、性格も人生も、考え方もあるのです。ただ皆と違ったことをすると目立ったりする。それを恐れて、自分の主張を曲げている場合が多いのです。あるいは、ボス的存在の女性に逆らえず、ということもあるでしょう。私自身の母親との経験を例に、今回はお話させて頂ければと思います。


”皆”より”自分”!
母から教えてもらった大切なこと

私の母は、曲がったことが嫌いなうえ、自分というものをしっかり持ち、貫き通そうとする女性でした。私がいくら、「皆はそうじゃない」とか「皆は持っている」と言っても、”皆”という言葉はすべて否定され、気がつくと母のセンスがいちばん素敵と思う自分がいつもいました。学校で決められた黒いランドセルの代わりに茶色いランドセルを背負い、濃紺の指定されたカーディガンではなく少し明るめのブルーのカーディガンを着て、私は胸をドキドキさせながら登校したものでした。この、全てを鵜呑みにせず、まず否定から入るという考え方は、私、そして息子に確かにリレーされているのを、今日、折々に気付くにつけ、顔がほころびます。こんなところになぜか、真に自分の人生を生き抜いているような、満足感を覚えるのは素敵な驚きです。

つまり、周りの人と同じであるべきことなどひとつもなく、自らの生き方は、自らの責任の上に構築していくのが私の理想でした。


自分自身が生き抜いている姿が
子供にとっての”母親”です

私の母は、仕事は他の人が替わってできるけれど、子供は母親にしか育てられないと常に話していました。親が作ったり買ったりするものを食べ、着せられる服を着て、連れられて歩く場所の景色を風景として心にいつまでも焼きつけて成長するのです。子育てする間の私は夢中でしたので、子供の将来の成長した姿まで考える余裕が正直ありませんでした。でも、今振り返ってみると、”お母さんがいちばん(実際はそうでなくても)”と信じるけなげな子供を前に、親は先頭に立って、この世の中のサバイバルの仕方のお手本を示すのが一番の使命ではないかとつくづく思うのです。お母さんとしてのポーズや建前ばかり子供に見せていると、親子の絆は偽善的になり、もろくなるでしょう。私は、それを一つの体験を通じてはっきり断言できるようになったのでした。


それは、まだ子供が小さかった頃のことでした。ある先輩から頼まれ、思春期の娘さんの家庭教師をしておりました。後から考えると、忙しい彼女が面倒見きれない部分を私に託したのでした。少女は勉強する代わりに、母親がこうだああだという話をひとしきりするのでした。「あの人は頭がいいから」と母親について語っていた姿は、サバイバルする姿勢を母親から学べない叫びだったと思うのです。あのとき強く感じたこと。それは、子育てで必要なのは、優等生の母ではなく、地の通った愛情だと。だから、欠点だらけでもいいんです。「実のある」母性パワーを全開させてください。西洋のレディーファーストの原点は、「どんな偉人も、母なる女性から生まれた」という敬いです。迷っても悩んでも、どうぞ前へ前へ進んでみてください。


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